2006年04月09日
【KYOTO★STYLE】『京の春の風流な舞』玄武神社・やすらい祭
京の春の風流な舞
京都には「三大奇祭」というお祭りが存在します。
10月に行われる『広隆寺の牛祭り』『鞍馬の火祭』と
もう一つが本日行われております『やすらい祭』で御座います。
『はなしづめ』『鎮花祭』とも呼ばれ、今宮・玄武・川上大神宮の各神社にて
行われ、桜の花の散る頃に流行する疫病を退散させるため、細男(せいのお)
を送り、舞ったのがこのお祭りの始まりなのだそうです。
境内から子鬼、赤と黒の大鬼、囃子方等に扮した子供たちが花笠を先頭として、
列をなし、氏子町内を練り歩きます。途中では、鬼達の激しい踊りも披露され、
その様は春風を呼び起こすように感じます。
桜や椿で飾った風流傘には厄病を祓う力があるとされ、人々は傘の下に入り、
無病息災を願います。民俗無形文化財にも指定されております。
ちなみに、氏子さんいわく、この子鬼たちは操られているのだそうです。
ですから、掛け声の種類によって、鬼達の踊りも違うのだそうです。
今でも鬼たちは町内を練り歩き、厄病も吹き去るような激しい踊りで、
沿道の人々を楽しませていることでしょう。
京都には「三大奇祭」というお祭りが存在します。
10月に行われる『広隆寺の牛祭り』『鞍馬の火祭』と
もう一つが本日行われております『やすらい祭』で御座います。
『はなしづめ』『鎮花祭』とも呼ばれ、今宮・玄武・川上大神宮の各神社にて
行われ、桜の花の散る頃に流行する疫病を退散させるため、細男(せいのお)
を送り、舞ったのがこのお祭りの始まりなのだそうです。
境内から子鬼、赤と黒の大鬼、囃子方等に扮した子供たちが花笠を先頭として、
列をなし、氏子町内を練り歩きます。途中では、鬼達の激しい踊りも披露され、
その様は春風を呼び起こすように感じます。
桜や椿で飾った風流傘には厄病を祓う力があるとされ、人々は傘の下に入り、
無病息災を願います。民俗無形文化財にも指定されております。
ちなみに、氏子さんいわく、この子鬼たちは操られているのだそうです。
ですから、掛け声の種類によって、鬼達の踊りも違うのだそうです。
今でも鬼たちは町内を練り歩き、厄病も吹き去るような激しい踊りで、
沿道の人々を楽しませていることでしょう。
Photograph by NOB
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コメント一欄
1. Posted by 京都人ブログ 2006年04月10日 19:39
こんばんは、
玄武さんの「やすらい祭」にお越しやったんですか。
私も行きたかったんですが、午前中は家の用事で、午後からはあるSNSの花見オフ会が西陣妙蓮寺さんであり参加し、「やすらい祭」に行けませんでした。
ほんまやったら、玄武さんと今宮さんをハシゴしたかったんですが・・・。
NOBさんのお写真を拝見して行った気になっておりますぅ?(笑)
玄武さんの「やすらい祭」にお越しやったんですか。
私も行きたかったんですが、午前中は家の用事で、午後からはあるSNSの花見オフ会が西陣妙蓮寺さんであり参加し、「やすらい祭」に行けませんでした。
ほんまやったら、玄武さんと今宮さんをハシゴしたかったんですが・・・。
NOBさんのお写真を拝見して行った気になっておりますぅ?(笑)
2. Posted by hayate 2006年04月10日 22:17
すごくダイナミックな写真を撮られましたね!動きが伝わってきます。どうやったらこんな写真が撮れるのですか?すごい!
3. Posted by 一匹狼★NOB 2006年04月11日 21:01
>くみちょー(京都人ブログ)さん
こんばんは。いつもコメントを頂きまして誠に有難う御座います。
玄武さんも今宮さんも両方に伺いました。
朝には玄武さんへ正午頃には醍醐の花見へ。
そして、今宮さんへ訪れ、最後には玄武さんの回っておられる一組に
同行をさせて頂き、神社総代さんはじめ、地域の皆さん、
更にはやすらい祭の世話役の方々に、御協力を頂き、写真を撮らせて
頂きました。
まだまだ写真はあるですが、朝の出発の時に撮影したものを、
すぐに記事にして掲載させて頂きました。
玄武さんのやすらい祭は、まだ町中での子供たちの踊りの様子など、
数多くの写真を編集中ですので改めて『京都街角』で御紹介をさせて
頂くつもりです。
ちゃんとハシゴしましたよ♪
今後ともよろしく御願いします。
こんばんは。いつもコメントを頂きまして誠に有難う御座います。
玄武さんも今宮さんも両方に伺いました。
朝には玄武さんへ正午頃には醍醐の花見へ。
そして、今宮さんへ訪れ、最後には玄武さんの回っておられる一組に
同行をさせて頂き、神社総代さんはじめ、地域の皆さん、
更にはやすらい祭の世話役の方々に、御協力を頂き、写真を撮らせて
頂きました。
まだまだ写真はあるですが、朝の出発の時に撮影したものを、
すぐに記事にして掲載させて頂きました。
玄武さんのやすらい祭は、まだ町中での子供たちの踊りの様子など、
数多くの写真を編集中ですので改めて『京都街角』で御紹介をさせて
頂くつもりです。
ちゃんとハシゴしましたよ♪
今後ともよろしく御願いします。
4. Posted by 一匹狼★NOB 2006年04月11日 21:17
>hayateさん
こんばんは。いつもコメントを頂きまして、誠に有難う御座います。
今回は玄武やすらい祭の朝の出発の時に訪れました。
この撮影では、世話役、神社総代、地元住民の方々にも色々とお話を伺い、
ご協力も頂きました。
出来るだけ活き活きとしている子供たちの姿を色々な方々に見て頂ければ
と思いまして、醍醐に向かう前に一度帰宅し、このように掲載をさせて
頂きました。
この写真は鬼に扮した彼らの勢いのある激しい踊りによって撮れた写真です。
あくまで私はその場でたまたま撮らせて頂いたものだと思ってます。
こんばんは。いつもコメントを頂きまして、誠に有難う御座います。
今回は玄武やすらい祭の朝の出発の時に訪れました。
この撮影では、世話役、神社総代、地元住民の方々にも色々とお話を伺い、
ご協力も頂きました。
出来るだけ活き活きとしている子供たちの姿を色々な方々に見て頂ければ
と思いまして、醍醐に向かう前に一度帰宅し、このように掲載をさせて
頂きました。
この写真は鬼に扮した彼らの勢いのある激しい踊りによって撮れた写真です。
あくまで私はその場でたまたま撮らせて頂いたものだと思ってます。
5. Posted by 爛漫子 2006年04月15日 06:09
玄武さんって、いつも前とおってたんですけど、こんなお祭りがあるとは知りませんでした。(今宮は知ってるで。うちの、町内やし)玄武さんってあの、川島織物跡地?のマンションがドカーンと邪魔してそうで、すごく申し訳ないんやけど、子供のお祭りはええね。うちの子もこんな格好させて踊らせたいわ。(氏子やないから無理か)
そうそう、私ね。いつも思てたんやけど、玄武神社ってずっとあの場所にあったんやろか?京都を遷都するときに、考えはった、中国のエラい風水学者によると、玄武の場所は船岡山のはずなんやけどなぁ。船岡山は、織田信長か秀良かだれかの神社やろ。この戦国武将が勝手に玄武さんをひきずりおろしたんやとばかり私は思ってるねんけど。(小さいときからの疑問)
そうそう、私ね。いつも思てたんやけど、玄武神社ってずっとあの場所にあったんやろか?京都を遷都するときに、考えはった、中国のエラい風水学者によると、玄武の場所は船岡山のはずなんやけどなぁ。船岡山は、織田信長か秀良かだれかの神社やろ。この戦国武将が勝手に玄武さんをひきずりおろしたんやとばかり私は思ってるねんけど。(小さいときからの疑問)
6. Posted by 一匹狼★NOB 2006年04月16日 22:37
>爛漫子さん
こんばんは。玄武さんのやすらい祭も小さいながらも
ずっと続けられております。今宮神社は有名ですからね。
神社総代さんに色々とお話をお聴き致しましたが、昔は
もっと大きな子供(中高生)や大人が関わっていたそうですよ。
近年の教育事情で参加者が少なくなって、今では小学生が主に
参加しております。でも、この子達は本当に頑張ってましたよ。
朝から午後6時まで休みを挟んで頑張っておりました。
そうですねぇ。玄武神社の別名は「惟喬(これたかの)社」。
文徳天皇の皇子、惟喬親王が祭神です。
起縁は八七八年に惟喬親王の愛蔵の剣を祀ったのが始まりだそうです。
やはり北部の鎮守社ということで玄武神社となったようです。
また昔は玄武の亀との関係から境内の小池に亀が多く放育されていた
ようで「亀宮(かめのみや)」とも呼ばれていたそうです。
こんばんは。玄武さんのやすらい祭も小さいながらも
ずっと続けられております。今宮神社は有名ですからね。
神社総代さんに色々とお話をお聴き致しましたが、昔は
もっと大きな子供(中高生)や大人が関わっていたそうですよ。
近年の教育事情で参加者が少なくなって、今では小学生が主に
参加しております。でも、この子達は本当に頑張ってましたよ。
朝から午後6時まで休みを挟んで頑張っておりました。
そうですねぇ。玄武神社の別名は「惟喬(これたかの)社」。
文徳天皇の皇子、惟喬親王が祭神です。
起縁は八七八年に惟喬親王の愛蔵の剣を祀ったのが始まりだそうです。
やはり北部の鎮守社ということで玄武神社となったようです。
また昔は玄武の亀との関係から境内の小池に亀が多く放育されていた
ようで「亀宮(かめのみや)」とも呼ばれていたそうです。