2005年04月16日
【雑談】京都人の生活文化
おはようございます。
週末のお目覚めいかがでしょうか?
今日もどうやらいい天気になりそうですね。
そんななか、ちょっと思いついたことを書き綴ります。
というのは、京都というのは、本当に生活文化が
発達していると思います。
その代表的なのが、「おばんざい」。
ほかの方から見れば、もちろんたいそうに聞こえるでしょう。
でも、実際は、おかあさんが家で作る本当に普通の料理です。
ただ、そこに生活文化の何が隠れているのかと言うと、
『しまつ』の精神なんです。
野菜とかの料理は特にそうなんですけど、食べられる所は、
とことんほかす(捨てる)とこがないくらいまで使いこなすこと。
なんせ、普通に大根菜でお味噌汁に入れたりとかしますからね。
そこには、もったいないという言葉では片付けられない
京都に息づく『しまつ』の精神があるのです。
物なんかは、壊れてもう直せないというところまで使ったり、
捨てるのはもったいないとほんとに使うの?ってとこまで、
大事に取ってあって、実際に使ったり…
昔、おばあちゃんにも、こんなんほかすのは、
もったいないから残しときって、何度言われたことでしょうか。
でも、そんな『しまつ』の精神は、京都人のセンスにも現れてきます。
まずは、着るもんがそうです。
結構、ええものに見える服であれ、着物であれ、小物であれ、
意外と安いものが多かったりします。
というのも、安いものをいかにええもんに見せるかという事で、
ある意味、高いところにお金を使わず、そういう部分で
『しまつ』して、ええように見せる技を身に付けているといえます。
もう一つが、お見立て。
料理とかで、よく高く見えるようで、実はそんなに高くない。
なんて良くある話。
これも、生活の知恵です。
食器とかお箸とかをいかに安いもので、見立てて生活を豊かに見せるか。
それも『しまつ』のひとつだと思います。
いちいち高いもんを使うんじゃなくて、その雰囲気をお手ごろな食器等で
見立てて作り出すことで、自分たちの生活に豊かさを生み出していく。
それも、京都人の生活の知恵であり、「しまつ」の精神から来るものだ
と思います。
センスがいい、悪いはありますが、決して、高いものばかりが生活にとって、
豊かなものではなく、自分たちで努力して、そういう無駄な出費を
『しまつ』して、自らの生活にゆとりと豊かさを与える。
それが京都の生活スタイルであり、文化ではないでしょうか。
多分、今はそんなの気にしてはいられませんけど。
時には、そういう遊び心をもったゆとりの精神を持っていたいものです。
週末のお目覚めいかがでしょうか?
今日もどうやらいい天気になりそうですね。
そんななか、ちょっと思いついたことを書き綴ります。
というのは、京都というのは、本当に生活文化が
発達していると思います。
その代表的なのが、「おばんざい」。
ほかの方から見れば、もちろんたいそうに聞こえるでしょう。
でも、実際は、おかあさんが家で作る本当に普通の料理です。
ただ、そこに生活文化の何が隠れているのかと言うと、
『しまつ』の精神なんです。
野菜とかの料理は特にそうなんですけど、食べられる所は、
とことんほかす(捨てる)とこがないくらいまで使いこなすこと。
なんせ、普通に大根菜でお味噌汁に入れたりとかしますからね。
そこには、もったいないという言葉では片付けられない
京都に息づく『しまつ』の精神があるのです。
物なんかは、壊れてもう直せないというところまで使ったり、
捨てるのはもったいないとほんとに使うの?ってとこまで、
大事に取ってあって、実際に使ったり…
昔、おばあちゃんにも、こんなんほかすのは、
もったいないから残しときって、何度言われたことでしょうか。
でも、そんな『しまつ』の精神は、京都人のセンスにも現れてきます。
まずは、着るもんがそうです。
結構、ええものに見える服であれ、着物であれ、小物であれ、
意外と安いものが多かったりします。
というのも、安いものをいかにええもんに見せるかという事で、
ある意味、高いところにお金を使わず、そういう部分で
『しまつ』して、ええように見せる技を身に付けているといえます。
もう一つが、お見立て。
料理とかで、よく高く見えるようで、実はそんなに高くない。
なんて良くある話。
これも、生活の知恵です。
食器とかお箸とかをいかに安いもので、見立てて生活を豊かに見せるか。
それも『しまつ』のひとつだと思います。
いちいち高いもんを使うんじゃなくて、その雰囲気をお手ごろな食器等で
見立てて作り出すことで、自分たちの生活に豊かさを生み出していく。
それも、京都人の生活の知恵であり、「しまつ」の精神から来るものだ
と思います。
センスがいい、悪いはありますが、決して、高いものばかりが生活にとって、
豊かなものではなく、自分たちで努力して、そういう無駄な出費を
『しまつ』して、自らの生活にゆとりと豊かさを与える。
それが京都の生活スタイルであり、文化ではないでしょうか。
多分、今はそんなの気にしてはいられませんけど。
時には、そういう遊び心をもったゆとりの精神を持っていたいものです。